ドイツワイン事典-Saale-Unstrut(ザーレ・ウンストール)ー発泡酒で人気の旧東ドイツの産地
旧東ドイツワイン産地

旧東ドイツの産地は・・・ (Outline)

一つは、陶磁器で有名なザクセンで、畑はドレスデンからマイセンまでのエルベ河沿いの斜面にある。
もう一つは、ザーレ・ウンストールで、畑はライプチッヒの南西、ザーレ川とウンストール川の合流する地域にある。
両地域共に、北方に相応し辛口の優れたワインの生産地だが、ザクセンには甘口も少量だが造られている。

ドイツワイン地図(旧東ドイツ産地)

ドイツワイン事典-Sachsen(ザクセン)=エルベ河湖畔の北限葡萄栽培地
Sachsen
Sachsen

ザクセンの・・・

ブドウ畑は「エルベのフィレンツェ」と呼ばれるドレスデンを挟んでエルベ川渓谷の南向きの傾斜面にある。
総面積400haしかない。ドイツの13のワイン生産地の中で最小。

ベルリンから南東200km、プラハから北西150kmの位置で、最北限ブドウ栽培地である。黄土層に花崗岩や斑岩など火山系土質の混じる土壌。

この地の葡萄栽培の歴史は古く、マイセンの修道院の記録に最初に出てくるのが1161年。
現在、この地方のワインは、殆どがマイセンの協同組合のワイナリーで造られている。

栽培主品種は、下記に示すが、ミュラー・トゥルウが多い。少量だが、リースリングと、珍しいゴールドリースリング(リースリングとマスカットの交配種)も栽培されている。
ワインは辛口。多くは軽く薄口だが、上物は香り高くコクのある力強い性格を持つ。

ベライヒは3つ。
・Elstertal 〈 エルスタータール)
・Dresden (ドレスデン)
・Meißen 〈マイセン 〉

Sachen (ザクセン)

Meissen

ザクセンは、8世紀、カール大帝が、ドイツ東方支配の30年にもおよぶ「ザクセン戦争」の末、降伏した時のザクセン人のリーダーであるウィドゥキントを、ザクセン公に封じた事に始まる由緒ある公国。

この地域には早くから産業が興った。中世の頃から操業するエルツ山地の鉱山がもたらす利益が国を潤した。
18世紀初頭、マイセンでは、ヨーロッパで初めて枯士から磁器を作り出す技術が生み出され、その国際的名声が今日に至っている。
19世紀には、ドイツ初の長距離鉄道がライフツイヒとドレスデンとを結んだ。今も残る産業遺跡は、世界で最も高さのあるレンガ造りの鉄道高架橋で、その高さはローマの水道橋にも匹敵する。

歴代の王は鷹揚な名君として知られ、その治世の輝かしい遺産は、ヨーロッパ有数の文化と芸術の都ドレスデンに残っている。
フリードリヒ賢公(1463~1525)は、ドレスデンからエルベ河を下ったWittenberg(ヴィッテンベルク)に大学を設立、ルターを聖書学教授として迎える。ルターがカトリック教会から追放を受けた時人知れず保護した。ルターのよき理解者として歴史にその名を残している。

WineMap-Sachen

栽培品主種

著名村:畑

 

著名生産者

☆☆☆
Schloss Proschwitz,MeiBen
Klaus Zimmerling,Dresden-Pillnitz
ドイツワイン事典-Saale-Unstrut(ザーレ・ウンストール)ー発泡酒で人気の旧東ドイツの産地
Saale-Unstrut
Saale-Unstrut

ザーレ・ウンストールの・・・

ブドウ畑は、ライプツィッヒとワイマールのほぼ中間、ザーレ川とその支流ウインストール川流域の傾斜地にある。北緯51度当たりに広がるから、最北端の葡萄栽培地である。

ブドウ栽培の歴史は古く、10世紀頃からである。現在の栽培総面積660haだが、ドイツ統一以降は、畑やワイナリーは確実に増えつつある。

土壌は、フランケン一帯の土質の延長で、石灰岩土壌。
大部分は協同組合で醸造されるが、州立の醸造所でも造られている。

栽培主品種は、下記に示すが、ミュラー・トゥルガウが多い。リースリングも少量だが植えられている。

ワインは辛口。多くは軽く薄口だが、上物は香り高いコクのある力強いものもある。
特筆すべきものとして、ナウグブルグ(Naumburg)の発泡酒の<Rotkappchen>がある。旧東ドイツのワイン産業ではずば抜けた存在で人気も高い。

ベライヒは、以下の3つ。
・Mansfelder Seen 〈 マンスフェルター・ゼーエン 〉
・Schloß Neuenburg 〈 シュロス・ノイエンブルク 〉
・Thüringen 〈 テューリンゲン 〉

Leipzig & Weimar(ライプツィヒ・ワイマル)

ライプツィヒは、ベルリンに次ぐ旧東ドイツの第二の都市である。現在国際見本市開催など活気に満ちた商工業都市であるが、同時に文化都市でもある。
ハイデルベルグに次ぐ歴史と伝統を持つ「ライフツィヒ大学」は、ゲーテやニーチェ、音楽家のシューマンやヴァグナーが学び、日本の森鴎外や池田菊苗(味の素発明)が留学した。町の「聖トーマス教会」は、ルターの新教布教の説教を行なった教会としても有名だが、J・S・バッハが亡くなるまでの27年間、オルガン奏者兼音楽監督を務めたところである。メンデルスゾーンの生誕地でもあるライフツィヒは、文字通り学芸と音楽の町である。

*Auerbachskeller(アウアーバッハケラー)と言う酒場がある。 Auerbachskeller

ゲーテの「ファースト」にも登場する古い酒場である。
地元ののワインや料理を愉しむには絶好の場所であろう。


ワイマールも又、文化の都である。
ゲーテが、ワイマール公国の行政官(後宰相)として、27才の時招聘され、82才で死ぬまで過ごした小都(当時人口6,000人)としてよく知られている。
ゲーテは、激動する時代(フランス革命、ナポレオン戦争)に、小国・ワイマールの政務を献身的に果たした。Jena(イェーナ)大学の監督をはじめ、各種学校教育を整え、軍隊を減らし、道路整備、鉱山開発など産業振興をはかった。外務、財政にも携わった行政官で政治家であった。
ただロマンティクな詩を書き、夢を語る芸術家ではなかったのである。
(イェーナ大学は、世代をリードする錚々たる教授を擁していた。ヘーゲル、フィヒテ、シェリング、ショーペンハウエル。シラーも歴史学の教授としてゲーテが迎える。)

WineMap-Saale-Unstrut

栽培品主種

著名村:畑

 

著名生産者

  
☆☆☆
Lutzkendorf, Bad Kusen
Pawis,Freyburg/Unstru